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熱田に残る「戦争の記録と記憶」

2019/04/08

熱田空襲展 ― 8分間で奪われた2000人のいのち

フジオカ ヒロタカ - Media for Society 編集長 Profile
カメラマン・デザイナー@藤が丘デザイン。 小学校時代は新聞係。

熱田に残る「戦争の記録と記憶」

1945年6月9日、終戦間近の出来事だった。
熱田神宮近くの工場一帯で、2000人を超える命がわずか8分間の空爆で奪われた。
戦争と平和の資料館ピースあいち(名古屋市名東区)は、現在この「熱田空襲」をテーマとした企画展を開催している。

浄玄寺前住職 桜井純(あつし)さんの戦争画

1945年3月、桜井さんは18歳で巡査として金山へ降り立ち、前日の空襲の瓦礫の山に呆然となった。その後、市街地爆撃、熱田空襲を経験し、現場の救助活動に携わった。
終戦後1948年に退職。浄玄寺住職となり、戦争の体験画を描いていった。

淡々と描かれる絵と文

イラストの デフォルメされたタッチが苛烈な現場をよりシンプルに浮かび上がらせている。
素朴な叙述のなかにリアルさがあり、見る者に衝撃を与える。戦争を描いた様々な著作物があるが、イラストの戦争画はその場にいるような追体験の感覚をもたらす。
著作権の都合上、ここに大きな画像は載せられないので直接見て欲しい。
(入館料は300円)

東邦高校美術科の生徒の作品展

第二次世界大戦を遠い歴史として学ぶ現代の高校生たち。
若い感性が何を感じ、それを表現としてどんな形にアウトプットしたか。
戦争体験者が身内にほとんどいなくなった世代の感じた、瑞々しい表現をここでは知ることができる。

なぜ時計工場が標的に?

愛知時計電機と愛知航空機という2つの工場地帯が空襲の標的となった。ピースあいちは自家所蔵の貴重な資料とともに、米軍の戦略や日本側の対応と被害についてつまびらかにしている。

見逃せない「語り継ぎ映像」

”語り継ぎ”を重要なテーマとして取り組みを続けるピースあいち。主要な著作物として、戦争体験者の語るビデオがある。
今井美代子さん・中野見夫さんの証言パネルが本企画展内に展示されており、二人が語る記録映像は同館2階の常設展横に設置されている。
「死体のなかでの生活」
「戦争に負けたとき、嬉しかった。これで空襲が終わると思って」
語り継ぎのビデオ視聴を求めて、ピースあいちをぜひ訪れてみてほしい。

「熱田空襲」―6月9日 愛知時計・愛知航空機への空襲 8分間で奪われた2000人のいのち

期間
2019年4月5日 (金) ~ 2019年5月5日 (日)
会場
3階企画展示室
参加費
入館料でご覧いただけます。
内容
1945年6月9日、熱田神宮に近い愛知時計電機と愛知航空機の2つの工場一帯を襲った「熱田空襲」は、わずか8分間の空爆で2000人を超える犠牲者を出しました。
なぜ、時計製造工場が標的になったのでしょう。なぜ、名古屋空襲で最大の被害となったのでしょう。実は6月9日は、米軍「エンパイア作戦」の初日、そして2トン爆弾が日本で最初に使われた日でした。6月9日の空襲をさまざまな角度から解明します。
また「6月9日空襲を語り継ぐ」をテーマに、東邦高校美術科生徒の作品展、戦争体験の証言・絵画、地域に残る犠牲者慰霊碑パネルなどを展示します。

・6月9日空襲とは何だったか
時計生産から軍需生産へ/6月9日空襲の実態/愛知時計電機・愛知航空機の学徒動員
・6月9日空襲を語り継ぐ
東邦高校美術科の生徒の作品展
―体験者のお話を聞き、生徒それぞれがイメージした戦争と平和の作品
戦争体験証言・絵画の展示
―今井美代子さん・中野見夫さんの証言パネル・ビデオ、浄玄寺前住職の描いた体験画
地域に残る犠牲者慰霊碑
関連リンク
http://www.peace-aichi.com/events/event/%E3%80%8C%E7%86%B1%E7%94%B0%E7%A9%BA%E8%A5%B2%E3%80%8D%E2%80%956%E6%9C%889%E6%97%A5-%E6%84%9B%E7%9F%A5%E6%99%82%E8%A8%88%E3%83%BB%E6%84%9B%E7%9F%A5%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E3%81%B8%E3%81%AE/


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